発見と安らぎの新潟シンポジウム 2003
「稲は、人の足音を聞いて育つ」とは、昔の人はよく言ったものである。
稲の周りを歩くと、稲の根が切れてしまう。根を切られた稲は、さらに強い根を張ろうとたくましくなる。たくましい稲は、健康で強い稲となり米を作るのだ。
こういうことも言える。田んぼに足しげく通い、その様子を自分の目で見て、小さな変化でも見逃さずこまめに手入れする。その回数が多いほど稲はよく育つのだ、と。
情報化時代、氾濫している情報の中から真の価値あるものを見つけることはやさしいことではないが、現場にある生の情報の価値が高いことは間違いないだろう。明確な問題意識、豊富な経験の裏づけによる感受能力が前提だが、現場を数多く訪ねてそのニーズをとらえ、現場に即して対応することが肝心だ。
いずれにせよ、多くの人が田んぼ入ることは、それ自体“愛情”という肥料になる。愛情いっぱいに育った稲は、収穫の季節にきっとお米という愛情を返してくれるのだ。
今回、新潟で開催される「ユーザー・シンポジウム」には、こういった触れ合いが伝わる大会にしたいという実行委員の思いが込められている。
地元新潟デザイン専門学校の学生の皆さんに考えていただいた、熱のこもった数多くの応募作の中から、長谷川千晴さんの作品を採用させていただきました。ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。
●入選作コンセプト 
稲が人の足音を聞いて育っていく様子を表現しました。稲の葉を流れるようなデザインにすることで、さわやかな優しい感じを出しました。人の足音が暖かい優しいものであることを薄い橙色で、新潟の田園に吹く風と稲を緑色、そして稲が育つ上で重要な水、信濃川の流れを青で表現しました。
(コンピュータグラフィックス科3年 長谷川千晴さん)
●佳作コンセプト
新潟の豊かな大地に広がり、日々おいしい水を飲みすくすくと育っていく稲穂をイメージしました。新潟のお米のように訪れる人々に「味わい」があり、そして「みのり」を与えてくれる、そんなシンポジウムになることを願い、デザインしました。
(グラフィックデザイン科2年 早川和宏さん)
●佳作コンセプト
稲が成長して伸びていく様子です。円で人々の和を、緑と青は新潟の自然を表しています。
(コンピュータグラフィックス科 平 明香さん)



●肌がつるつる、体の芯からからぽかぽか
「美人になれる温泉」として名高い月岡温泉は、大正5年、石油掘削に際して良質の源泉が涌出、そこに建てられた湯小屋(共同浴場)が始まりとされています。当時は家一軒ない谷地でしたが、温泉療養の効果が評判となり、米や野菜、鍋釜をかついだ湯治客が年々増加。戦争中は疎開児童の宿や新発田部隊の療養所としても利用されました。その後、温泉場から観光地とよばれるに相応しい発展を遂げ、今では旅館も30軒を数えます。
月岡温泉の湯は、源泉で51度、そして硫化水素の含有量は日本一といわれています。入浴すると肌がつるつるに若返り、また体が芯から暖まり、残温が長時間体内に残ることから、「美人の湯」「不老長寿の湯」として、県内外の多くの人々に親しまれています。



●温泉の始まり
大正5年の初め、宝田石油会社の本間周三郎が油脈を求めて掘削中、深度250メートルで突然熱湯が噴出した。大方の業者は、温泉の下に石油は出ないとして引き上げてしまったが、本間は、宝田石油を辞して温泉にかけようと考え、共同浴場(当時は湯小屋と呼んだ)を設けた。そして掘削夫であった青木小一郎に宿屋をやらせた。これが、浴場裏手に建てた青木屋であり、月岡温泉の始まりである。


●温泉の発展
鉱区権を所有していた長岡出身の今井慶作は、この湯を引いて月岡館を建て内湯とした。さらに今井は、現在の長岡屋と上田理髪店の間にもう1本の温泉を掘り当てた。
その後、中島石油会社が掘り当てた共同浴場「旭の湯」が、現在の小唄小路にあった。そのころになると、いくつかの旅館が立ち並ぶようになった。青木屋をはじめ熊堂屋・小島屋・桃乃屋・広瀬屋・浪速屋・朝日館・増屋・新発田屋・坂井屋などの旅館のほか、魚屋・豆腐屋・雑貨屋などが出来、温泉街らしくなってきた。

 

●新温泉
昭和の初めのころ、新温泉の開発を考えた人がいた。篠田要次郎と松本慶次郎の二人であった。松本が資金を援助して掘削したのが成功し、290メートルで毎分一石一斗の湯が湧出した。そこで、温泉街の計画をたてた。まず2階建ての共同浴場を造り、その周囲に旅館等を誘致した。また、真木山の一角を公園化し、神社、仏堂を建て、温泉客の散策の場とした。そして県道通りを商店街とし、旧温泉に対し新温泉として一応の形が整ったのは、昭和3年の秋ごろであった。ところが、昭和17年ごろになると、新湯の源泉が涸れはじめてきて、営業不能の状態になってきた。
そこで、鉱区権を所有している月岡館の力添えを得て、石油会社と15軒の旅館が1万ずつ出資して新しい温泉の掘削を試みた。石油だけが出たため、旅館側が大あわてした一幕もあったが、やがて石油が減少し、温泉が出るようになった。


●全館内湯設備実現まで
新旧温泉とも旅館のほとんどは、共同浴場に依存してきたが、月岡が近代的温泉地として発展するためには、全館の内湯化が最大条件であり、その早期実現が強く要望されてきた。そこで温泉が一致協力して昭和31年12月、源泉協同組合を設立、新潟市吉川興業の資本を得て掘削し、4本目でようやく的中、340メートル地下で52度・毎分450リットルの良質多量の源泉を得ることに成功した。
この源泉をもとに新旧温泉の湯を一か所に集めて各旅館に配湯する大事業がここに完成することができた。内湯化を目指してから実に10年の歳月が経過していた。


●現在の月岡温泉
 現在では、全旅館に内湯の設備が整っており、「美人になれる温泉」として全国にも有名である。含食塩硫化水素泉で無色透明なきれいな湯であり、特に硫化水素の含有量は日本一といわれている。また、時間や温度差により成分が変化するので幻の温泉と呼ばれ、人体にもすばらしい効果のあることも認められている。



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